《職場の教養に学ぶ》
お題:心を映す時間
2026年10月29日(木曜)
【今日の心がけ】自分を見つめ直しましょう
砂川昇建の思うところ
短歌から学んだ話です。「自分とは何か」「自己とは何か」「魂とは何か」「自覚とは何か」。高僧の言葉には、鏡に映る自分ではなく、他人の意識の中に存在する自分こそが魂ではないか。と書かれてあります。 般若心経の「色即是空、空即是色」では、目に見える形あるものには、独立不変の実体がない。さらに、カルロ・ロヴェッリの物理学では、物体は孤立した実体ではなく、相互作用や関係性の中に存在するとあります。。高僧のお話には、人間の本質を考えるうえで大切な示唆があります。鏡に映るのは肉体としての自分です。しかし、他人の心の中には、それぞれ異なる自分が存在します。ある人には親切な人、別の人には頑固な人、また別の人には忘れられない恩人として存在するかもしれません。そして自分が死んでも、他人の心の中の自分は残ることがあります。例えば、亡くなった母親の言葉が、何十年も子供の人生を支え続けることがあります。母親の肉体は消えても、その人が他者に及ぼす働きは続いている。この意味では、魂とは、他人の中に残された自分の存在の痕跡である、と考えることができます。般若心経の「空」は、単なる「無」ではありません。すべての存在は、さまざまな原因や条件によって成り立っており、それ自体で独立して存在する不変の本質を持たない、という意味です。これは「縁起」の思想と深く結びついています。しかし無我とは、「私は存在しない」という虚無的な主張ではありません。固定した自分は存在しない。しかし、変化し続ける自分は確かに存在している、という事です。物理学者 カルロ・ロヴェッリ の「関係的量子力学」は、物理的な性質を、孤立した物体に絶対的に備わるものではなく、他の物理系との相互作用との関係で捉えます。つまり、物体の構成をミクロで細かく調べていくと、粒ではなく電子的な関係で構成されているという事実です。例えば、虹を考えてみましょう。虹は確かに見えます。しかし、虹という固体が空に浮かんでいるわけではありません。太陽光、水滴、観察者の位置関係によって虹が現れます。虹は幻だから存在しない、というわけでもありません。若い頃、人間は自分を世界の中心に置きがちです。自分がどう見られているか、どう評価されているか、何者になるのか。ところが社会に出ると、世界は自分を中心に回っていないことを知ります。自分がいなくても会社は動き、社会は続き、世界は何事もなかったように進んでいく。これは寂しい発見でもあります。若い頃は「自分は特別な存在でなければならない」と考えますが、成熟すると「特別でなくても、役に立つ事に生きる意味がある」事を学びます。ここに自意識から自覚への転換があると思います。自意識は、他人から見られている自分を気にすること。自覚は、自分が他人や世界とどのような関係を結んでいるかを知ることです。自分とは何か?例えば、昨日の川と今日の川では、水は入れ替わっています。それでも私たちは同じ川だと呼びます。人間も、細胞が入れ替わり、思想が変わり、他人との関係が変化しても、同じ自分として生き続けます。その同一性を支えているのは、変化しない物質というよりも、記憶、身体、経験、関係がつくる連続性なのではないでしょうか?ロベッリのいう「物体は関係性で出来ている」の所以です。虹は存在する。しかし、関係から切り離された虹そのものを取り出すことはできない。肉体的な自分は存在する。しかし、「宇宙に自分しか存在しなければ、自分、自己、魂、自覚というものは、すべて意味を失う」つまり、自分が特別な存在ではないと知ることによって、初めて自分という存在の本当の姿が見えてくるのではないでしょうか?。
著者 砂川昇建




