《職場の教養に学ぶ》
お題:一呼吸が広げる視野
2026年8月5日(水曜)
【今日の心がけ】心を整える時間を大切にしましょう
砂川昇建の思うところ
「痩せガエル、負けるな一茶これにあり」という詩を読んで、一生懸命生きるカエルが好きになりましたが、石垣島の研修施設では、ありんこが大量に発生するので殺虫スプレーで駆除します。小動物に対しても、このように違う行動をとる人間は仏教的にどのような捉え方でしょうか?仏教的に見ると、カエルを愛おしみながら、害虫は駆除するという人間の行動は、単純に「偽善だ」「矛盾している」と片づけられるものではありません。むしろ、慈悲を願いながらも、現実の生活では他の生命を傷つけずにいられない人間の姿として捉えられます。仏教には「不殺生」つまり生き物をむやみに殺さないという戒めがあります。ですから、アリであっても命としては軽く扱われません。ただし、仏教では行為そのものだけでなく、どのような心で行ったかも重く見ます。楽しんで殺すのか、腹立ちまぎれに殺すのか、それとも衛生や安全を守るため、やむを得ず駆除するのかでは、心のあり方が違います。必要に迫られた駆除だから何の問題もない、とは言い切れませんが、同時に、それだけで慈悲のない人間だとも言えません。大切なのは、アリを「価値のないもの」と見なさないことです。ここで重要なのは、罪悪感で自分を責め続けることではなく、次に少しでも害を減らす知恵を働かせることです。仏教の慈悲は、「私は一匹も殺さない完全な人間だ」と思うことより、自分の矛盾に気づき、できる範囲で苦しみを減らそうとするところにあります。カエルには親しみを感じ、アリには迷惑を感じる。これは人間の自然な感情です。しかし、その好き嫌いを超えて、「どちらも生きようとしている」と気づくところから、仏教的な眼差しが始まります。一茶がやせ蛙に向けた「負けるな」という心を、アリに対しても必ず同じ行動で示さなければならないわけではありません。ただ、駆除するときにも、心の片隅で「このアリも生きようとしていた」と忘れないこと。それが、現実の生活と慈悲をつなぐ一つのあり方だと思います。今度からは、殺虫剤ではなく、ほうきで外へ掃き出すようにしたいと思います。
著者 砂川昇建




