《職場の教養に学ぶ》
お題:人生の調味料
2025年8月10日(日曜)
【今日の心がけ】ストレスも成長の糧と捉えましょう
砂川昇建の思うところ
ストレスと快適と、幸せと不幸と、苦労と楽と、様々な相対的なことがありますが、自身が努力し前進する糧になるとしたら、それは人が理想とすることの逆かも知れません。成功の反対派、失敗じゃない、何もしない事だ、つまり恵まれて幸せであれば何もしません。仏教では、「楽(らく)」や「快楽」はしばしば「無常」であり、「執着」を生む原因とされます。快楽や幸せが長く続くと、それに執着し、「もっと欲しい」「失いたくない」という欲望が生まれる。一方で、その状態が変化すれば苦しみに転じる。このように、「楽」の状態もまた「苦」の種であるとされるのです。つまり、「何もしない」という状態は、一見平穏ですが、仏教的には「無明(むみょう)」=真理を知らない状態とされ、悟りから遠ざかるものです。 「努力」や「苦労」が「悟り」への道。仏教では、修行が重視されます。修行とは、ある種の「努力」であり、「苦」に身を置く行為です。禅における坐禅、戒律を守る生活、托鉢など、仏教の実践はしばしば厳しいものです。それは、あえて「苦」を通して「自己の執着」や「煩悩」を明らかにし、超えていくため。この意味で、「逆境こそが悟りへの糧」となります。仏陀も、王子という恵まれた境遇から出家し、苦行を経て悟りを得ました。仏教には、「成功=得ること」、「失敗=失うこと」という定義はありません。どちらも「結果に対する執着」がある限り、苦しみを生みます。成功しても執着すれば苦、失敗しても囚われなければ苦ではない。つまり、「何もしない」という状態が問題なのではなく、「執着から目覚めないこと」が問題なのです。「何もしない」というのは、仏教的には 「無為」 にも見えますが、これは二通りあります。目覚めの結果としての「無為」=煩悩を断ち、何かに縛られない安らぎ(涅槃)無知からくる「無為」=自らの状態を省みず、ただ流されるように生きること(無明)真の成長や悟りは、むしろ「快適でない」状態から生まれる、というのは、まさに仏教が何千年も前から説いてきたことです。夏は、朝、早く起きてマラソンしますが、以前は、走っている時は苦しいが、走ったあとの克服感がやりがいを感じましたが、最近は、走っている時の苦しさに幸せを感じます。どMです。
著者 砂川昇建




